- 「自信」の効用
- 二種類の「自信」
- 実は弱い「根拠のある自信」
- 「根拠のない自信」は強い
- 「意味づけ力」で見分ける
「自信」の効用
「自信」とは、文字通りに読めば「自分を信じること」(self confidence)。
未知なこと、新しいことに恐れずに挑戦したり、過酷な環境やストレスに耐えたり、高い目標に対して長い間継続的に努力したりするためには、ベースに強い自信を持っていることが重要だ。
このように、「自信」を持っていることは様々な人生の局面に対峙していくことに役立つ。
ただ、日本の文化においては「自信」という言葉はややネガティブに捉えられていることもある。
「あいつは自信家だ」と言う場合、そこには多少「鼻持ちならない嫌なやつ」という意味も含まれている。
だがそれは、本当は「自尊心」(pride)とでも言うべきものであり、文字通りの意味とは異なる。
やはり本来の意味での「自信」は持つべきものである。
二種類の「自信」
この「自信」には、「根拠のある自信」と「根拠のない自信」の二種類がある。
「根拠のある自信」とは、自分に関する何らかの属性や能力や成果などを元に自信を持つようなことである。
例えば、「俺は東大出身だから」「年収1000万円だから」「クラブで日本一になったから」・・・というような事柄を背景とした自信だ。
「根拠のない自信」とは、特になんの事柄も背景とせずに、「未来は明るい」「努力は必ず報われる」「人は信じるに足るものである」・・・というような気持ちを持てることだ。
ぱっと聞くと「ない」よりは「ある」方が良いように思えるから、多くの人は「根拠のある自信」の方がより好ましいと思うであろう。
しかし、私は違う意見を持っている。
実は弱い「根拠のある自信」
「根拠のある自信」は、「根拠がある」が故に、実は弱い。
その根拠が崩れてしまえば、へなへなとつぶれてしまうこともある。
例えば「俺は東大出身だから」と威張っている人は、そこにハーバード大学出身の人が来ればシュンとなってしまうだろう。
「年収1000万円」というのが自信の背景にある人は、評価が下がって年収が下がれば、自信を失うだろう。
「根拠のある自信」はこのように失われやすい。
このタイプの人は自信を失うと、「帰郷」(過去の栄光)にすがることになる。
体育会系のクラブで優秀な成績を残した人が仕事でうまくいかなくなると、週末に学生向けコーチをし始めたり、「セルフハンディキャッピング」(やれないのではなく、やる気がないのだとすり替えること。
飛び込み営業のような非効率なやり方でやりたくありません、等)をするので注意が必要だ。
「根拠のない自信」は強い
一方で「根拠のない自信」は、「根拠がない」が故に、強い。
そもそも根拠がないのだから、崩される心配もない。
この「自信」は、ポジティブ思考(何でも前向きに良く捉える思考バイアス)やベーシックトラスト
(世界に対する基本的信頼感。アイデンティティの概念を提唱した心理学者のエリクソンが幼児期の発達課題とした)にも似て、どんなことがあっても、崩れることなく安定しているものである。
ビジネスはよく短距離走ではなく長距離走(マラソン)に似ていると言われるが、
長期に渡り様々な困難を越えて、大きな成果を出すためには、この「根拠のない自信」に裏付けられていることが必要かもしれない。
「意味づけ力」で見分ける
こういう人を見出すには、面接などで「意味づけをする力」を聞いてみればよい。
自分の携わっているものに対して、何らかの強い「意味」を見つけて、楽しんだり、やる気を出したりできる力を指す。
「根拠のない自信」がある人は、「自分に降りかかった経験はすべて意味があること」とポジティブに考えることができるため、「意味づけ力」も高い場合が多い。
これを見分けるには、普通の人であれば、嫌だなあと避けたり逃げたりするようなことに、何らかの楽しみや意味を見つけて喜々として取り組んでいるような経験がある人は「意味づけ力」が高い可能性がある。
反対に、仕事をえり好みしたり、嫌な仕事はだらだらやったりするような人はダメ。
面接などで人は自分の好きなことばかり話すが、それだけを聞いているとこういう人を採ってしまうこともあるので、気を付けたい。