お金を持っても自由ではない人

お金自由

キャバクラで1億円使った後に残るもの

お金を持つことは、必ずしも自由にはつながりません。不自由な人がお金を持ったとしても、やはり不自由な使い方をします。
私の知り合いで、いきなり大金を稼いでしまったものの、毎晩のようにキャバクラに行き、3年間で1億円使ったような人を2人ほど知っています。キャバクラを転々として回り、あたかもオーナーのように振る舞うのです。自分にポッカリ空いている穴をお金で無理やり埋めようとすると、このようなお金の使い方をする人が現れます。それで一時的に満足することはできるものの、その後は猛烈な虚無感と切なさが残ります。
果たしてこのような人を自由な人と呼ぶでしょうか。

ブランド品を買えることは自由にはつながらない

日本がバブルの絶頂期だった頃、日本人は海外のブランド品を買いあさっていました。その時のことを、ファッションデザイナーをしていた父はこのように批判していました。
「日本人はブランド品を買う購買力はあるものの、コーディネート力がない。全体のコーディネートからは不釣り合いなバッグや宝飾品を身につけて歩いているが、分不相応も甚だしいものだった。ブランド品に着せられているといったような状態だ。
対しておしゃれなヨーロッパ人はどうかというと、トータルコーディネートを考えた上でブランド品をあしらう。ブランドもののネックレスや指輪だけが主張しすぎることはなく、うまく調和している。だからこそおしゃれが際立っている。」
自分が目立ちたい、自分のすごさを認めて欲しい……そんな思いでブランド品を身につけていても、おしゃれには結びつかず、不格好に見えてしまいます。自分に合うものが海外ブランド品ではなくファストファッションだったとしても恥じることはありません。自分に合うもの、分相応をわきまえて自分なりのコーディネートをする人こそが自由であり、無理やり背伸びをした分不相応は不自由で力が入ってしまっています。

自由な人のお金の使い方

多くの成功者は、仲間を集め、信頼して仕事を任せ、応援される人格が備わった先にお金というものがついてきます。「この人と一緒にやろう」と思わせるような熱い志と情熱があってこそ、人は集まってきて、結果としてお金が生まれるのです。このような人格を備えた上でお金を持った人なら、自分を満たすためにこれみよがしにお金を使うということはしません。
スポーツ選手でも同じようなことがいえます。お金や地位、名誉、他の選手との比較などは、彼らには関係ありません。本当に好きなことを追求し、仕事にしている結果、認められるということなのです。

yuma
yuma
SOOLファウンダー。異彩人材を次々に惹き付ける独特の声、才能を引き出す不思議な眼力を持ち、人間をこよなく愛する3児のパパ。子供達があこがれを抱くかっこいい大人で溢れる世界を作ることを目指して旅を続ける。同じ志とパワーを持つ伝道師の発掘と育成に命を注ぐ。

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